大江戸町人アカデミー第2回 遠足 《忠臣蔵外伝・吉良の首》 | Art Autonomy Network

大江戸町人アカデミー第2回 遠足 《忠臣蔵外伝・吉良の首》

季節は冬。年の瀬もひと月後に迫って参りましたが、年の瀬と問われると、少し前の時代にはよく連想された単語に‘忠臣蔵’がありますが、みなさんは‘忠臣蔵’を御存じですか?
今回は、この”忠臣蔵”をテーマを新しい視点で見直す<遠足>を行います。

これまで日本橋旧大伝馬町に江戸時代から続く ‘べったら市’(毎年10月19日・20日)を、新しい視点から盛り上げていこうと始まった『大江戸町人アカデミー(全5回)』。その後の《特別編》では、先月19日・20日の本番に行われた‘べったら市ツアー’、また先週11月3日、4日には、「中央区まるごとミュージアム2012
(http://www.city.chuo.lg.jp/event/culture/marugoto/index.html)」とあわせた『フィルム・ア・ラ・ターブル(江戸版)』などのイベント等、多くの方々に江戸の時代や日本橋(大伝馬町)界隈のまちを知ってもらったり、楽しんでもらったりすることができました。ご参加いただきました皆様、本当にありがとうございました。

いよいよ本講座の最後のイベントは、遠足《忠臣蔵外伝・吉良の首》になります。”忠臣蔵”は、すでにご存じの方が多いとは思いますが、江戸中期の元禄15(1702)年12月14日深夜に起こった無届の仇討ち事件の総称です。江戸城の松乃大廊下において播磨赤穂藩主の浅野長矩が高家旗本吉良義央(上野介)を切りつける刀傷事件を機に派生した討入り殺傷事件です。殿中の刀傷事件は、赤穂藩だけに責任が負わされ、藩主の浅野長矩(内匠頭)は即日切腹、さらに藩は取り潰されました。これを不服に思った大内内蔵助率いる赤穂浪士らが約2年をかけてその復讐計画を練り、義士四拾七士によって実行されたのが、俗に言う「元禄赤穂事件」です。この討入りで吉良上野介の首を討取り、本懐を遂げたのが12月15日未明となります。そして、しらじらと凍みる暁のなかを義士たちは泉岳寺を目指して歩き始めたのでした・・・

平和のただ中にあった江戸中期において、この事件は江戸市中にかなりの衝撃を与え、それ以後、現在に至るまで、書籍・芝居(人形浄瑠璃・歌舞伎等)・舞台・ドラマ・映画などの数多くの作品になるほどのインパクトを持ち続けています。

今回の遠足では、これまで描かれてきた赤穂浪士の武勇伝”忠臣蔵”ではなく、討ち入りによって殺害された吉良上野介の立場から忠臣蔵を再考いたします。

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~旧暦12月15日早朝に、討ち入りを果たした赤穂の浪士一団は吉良上野介の首を白布に包み、槍・長刀に吊るして、泉岳寺への道を歩き始めたそうです。上杉家からの追手を気にし、「首」を舟で運ぼうかと船頭を探そうとすると、彼らの異様ないでたちゆえに船頭たちに逃げられ、またその日はちょうど大名たちが江戸城へ登城する日でもあったことから、道での面倒が生じないように、川べり、海近くの道を行くことにした~という史実が残っています。この史実に基づき、今回は、赤穂浪士たちの道程に同行していた寡黙な《吉良の首》を主人公にした《遠足》を行います~

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